
「会議で指示を受けた直後なのに、席に戻る頃には半分忘れている」
「メモを取ろうとしたら、メモする内容を忘れていた」
「3つ頼まれた仕事のうち、1つだけ抜け落ちて怒られた」
ADHD(注意欠如・多動症)のある方にとって、こういう「数十秒前のことが消える」感覚はあるあるだと思います。運営者自身、フロントエンドエンジニアとして働きながら、何度この壁にぶつかったかわかりません。
結論から言うと、ワーキングメモリは「気合いで覚える」「鍛えて広げる」ではなく、脳の外に出して仕組みで支える のが現実的です。この記事では、認知科学の研究と一次情報、そして運営者自身が試行錯誤して残った15の戦略を紹介します。
この記事でわかること - ワーキングメモリとは何か、なぜADHDで弱くなりやすいのか - 「鍛える」より「外部化」が現実的な科学的な理由 - 今日から仕事で使える記憶外部化の15戦略 - 上司や同僚に頼める合理的配慮としての記憶外部化 - ワーキングメモリの弱さと相性が良い職種・キツい職種
ワーキングメモリとは、目や耳から入った情報を数十秒〜数分のあいだ頭の中に保持しながら、同時にそれを処理・操作するための脳の機能です。「作業記憶」とも呼ばれます。机の上の「作業スペース」をイメージするとわかりやすく、ここが狭いと書類を広げる余裕がなく、新しい資料を置くたびに前の資料が押し出されて落ちていきます。
短期記憶が「ただ保持するだけ」なのに対し、ワーキングメモリは「保持しながら同時に何かを考える」のが特徴です。たとえば「上司の指示を聞きながらメモを取る」「電話で聞いた数字を頭で繰り返しながら入力する」といった作業は、すべてワーキングメモリの仕事です。
ADHDのある方は、このワーキングメモリの容量や持続時間に偏りがあることが、神経心理学の研究でくり返し報告されています。専門の医療機関である 国立精神・神経医療研究センター(NCNP) や 厚生労働省の発達障害情報 でも、ADHDの中核症状として実行機能の偏りが整理されています。
「自分は不注意なだけ」「気合いが足りないだけ」と思っていた失敗の多くが、実はワーキングメモリの容量の問題だった、というのはよくある話です。運営者が職場で実際に体験した、典型的な5場面を紹介します。
上司から「あのファイルを開いて、3行目を修正して、Slackで山田さんに共有しておいて」と言われた瞬間、最後の「Slackで共有」まで聞いた頃には、最初の「どのファイル」が抜け落ちている、という現象です。運営者の場合、3つ以上のステップが入ると、ほぼ確実にどこかが抜け落ちます。
「あ、これメモしないと」と思った直後にメモ帳を開き、ペンを構えた瞬間に何を書こうとしていたのか忘れる。この現象に名前を付けたいくらいよく起きます。
会議で誰かが話している間、その内容を頭の中で保持しつつ、自分の意見を組み立てる、という並列処理ができません。気がつくと「自分が何を言おうとしていたか」も「相手が何を言ったか」も両方ぼやけている。
メールを書きながら電話に出ると、電話が終わった瞬間にメールの続きが書けなくなります。脳内に複数の文脈を同時に保持するのが極端に苦手で、一度割り込まれると元のスレッドに戻れません。
ミーティング後、「次回までにAをやる」と決めたはずなのに、席に戻ってチャットを開いた瞬間に他のことに気を取られ、その日のうちに「Aをやる」自体を忘れる。1日終わってから「あ、あの件……」と気づく。
このあたりの症状は仕事のミスが多くて叱られる…ADHD・ASDの対策チェックリストでも、より広い「仕事のミス全般」の文脈で扱っています。あわせて読むと自分のパターンを整理しやすいはずです。
ここまで読んで「結局、努力で何とかなる範囲じゃない?」と思った方もいるかもしれません。運営者自身、診断前は「もっと集中していれば防げたはず」と毎晩自分を責めていました。
しかし、ワーキングメモリの容量は前頭前野の働きと深く結びついており、これは意思の力で広げられる部分ではありません。ADHDの方は、前頭前野や線条体のドーパミン伝達の特性によって、情報を保持し続ける機能が定型発達の方と比べて偏りやすいことがわかっています。
つまり、「気をつける」というのは「机が狭いまま、もっと頑張って書類を整理しろ」と言っているようなものです。机を広げる(=鍛える)か、机以外の場所に書類を置く仕組みを作る(=外部化する)か、どちらかしか根本的な解決になりません。
そして、後述するように、現代の認知科学では「机を広げる」アプローチの効果はかなり限定的だとわかってきています。
書店に行くと「ワーキングメモリを鍛える本」「脳トレでADHDを克服」といったタイトルが並んでいます。代表的な方法に デュアルNバック課題(Dual N-back) という認知トレーニングがあり、一時期は「IQが上がる」と話題になりました。
ただ、ここは正直に書いておきます。現代の認知科学では、デュアルNバックを含むワーキングメモリ訓練の効果は限定的で、訓練した課題そのものは上手くなっても、日常生活や仕事のパフォーマンスへの「転移効果」は乏しい、という研究結果が複数報告されています。訓練法によって転移の有無に差はあるものの、訓練と似たモダリティの課題以外には効果が広がりにくいことが指摘されています。
要するに、「Nバックの点数は上がるが、職場の指示を覚えられるようにはなりにくい」ということです。
これは運営者自身、半年ほど真面目に脳トレアプリを続けて感じたことでもあります。ゲーム内のスコアは上がりましたが、上司の指示を覚えていられるようになったかというと、正直まったく実感がありませんでした。
一方で、「覚えなくていい仕組み」を作る=外部化 は、効果が即日出ます。Notionにタスクを書き出した瞬間、頭から消えても困らなくなる。ホワイトボードに「今日やること」を貼った瞬間、忘れても机を見れば思い出せる。これが現実的なアプローチです。
ここからは、運営者が実際に試して残った15の戦略を、ジャンル別に紹介します。
頭に浮かんだ瞬間に、判断せず、整理せず、とにかく1箇所に放り込みます。運営者は Todoist の Inbox に音声入力で投げ込むのが定着しました。「今やるべきか」「いつやるか」は後で考える。思いついた瞬間に外部に出すこと自体が最優先 です。
「資料」とだけ書いても後で意味不明になります。「資料を山田さんに送る」「資料を13時までに印刷する」と動詞まで書く。これだけで、後から見たときに「で、何するんだっけ?」が消えます。
会議メモを一続きで書くと、後から自分が何をすればいいのか探せません。運営者は左半分に議事、右半分に自分のToDoだけ、というレイアウトで固定しています。
毎朝Notionで前日のテンプレを複製し、今日のタスクを書き換えるだけ。ゼロから組み立てない。「考える前にテンプレに沿って手を動かす」が鉄則です。
デジタルツールは便利ですが、PC画面の前でないと書けません。運営者は胸ポケットに小さい紙メモを入れていて、立ち話や歩いている最中の「あ、これ忘れそう」を確実に捕まえる用にしています。デジタル・紙のハイブリッドが結局いちばん抜けが少ないです。
明日持っていく書類は、玄関のドアノブにかけておく。返信が必要なメールは、PC画面の右上に付箋を貼っておく。視覚的な物理刺激は、内的なリマインダーより圧倒的に強い です。机の引き出しにしまった瞬間、それは「存在しないもの」になります。
タスクではなく、「今週は何をやる週なのか」を抽象度高めで1行書いておく。「リリース準備の週」「ドキュメント整備の週」みたいに。細かいタスクをこなしながら、大きな方向性を見失わずに済みます。
赤=今日中、黄=今週中、青=来週以降。これだけで、机を見渡した瞬間に「今すぐ手をつけるべきもの」が判別できます。ワーキングメモリで優先度を保持する必要がなくなる、というのが大きい。
「14時に山田さんに連絡する」を、その場でGoogleカレンダーに通知付きで入れる。覚えておこうとしないこと。未来の自分は、今の自分とは別人だと割り切る のがコツです。
毎週月曜の朝礼準備、毎月末の経費精算、四半期ごとの目標振り返り。覚えていられないので、すべて繰り返しタスクで自動的に降ってくるようにしています。これだけで「あ、忘れてた」が大きく減ります。
すぐ返せないメールを受信トレイに残しておくと、視界から消えた瞬間に忘れます。Gmailのsnooze機能を使って「明日の9時に再表示」しておけば、忘れても勝手に戻ってきてくれる。
書類が3つ以上重なると、ワーキングメモリのリソースをそちらに使ってしまいます。今やっている仕事の資料以外は、すべて引き出しか別の場所に。運営者の机は「殺風景すぎる」とよく言われますが、これが一番集中できる状態です。
Slackの通知、メール通知、SNS通知。これらが鳴るたびに、ワーキングメモリの中身がリセットされます。運営者は「自分から見にいく」スタイルに変えてから、明らかに作業の継続時間が伸びました。
退勤前のチェックリスト、月末締めのチェックリスト、出社時のチェックリスト。思い出して判断する をやめて、リストを見て手を動かす に切り替える。これも記憶外部化のひとつです。具体的なチェックリストの作り方は仕事のミスが多くて叱られる…ADHD・ASDの対策チェックリストで詳しく解説しています。
朝起きてから出社(あるいは仕事開始)までの動きを、毎日同じ順番で固定する。これによって、午前中のワーキングメモリのリソースを「今日着る服」「朝食」「準備物」に消費せずに済みます。ワーキングメモリは有限なので、重要じゃない判断にリソースを使わない ことが、結果的に仕事のパフォーマンスを底上げします。
ここまでは個人レベルの工夫を紹介しましたが、職場の協力を得られると効果はさらに大きくなります。これは「わがまま」ではなく、雇用領域では2016年4月施行の障害者雇用促進法、民間事業者全体では2024年4月施行の障害者差別解消法改正で定められた合理的配慮の範疇です(出典: 厚生労働省 雇用分野における障害者への差別禁止・合理的配慮)。具体的な雇用事例はJEED 障害者雇用支援関連資料も参考になります。
頼める配慮の例としては、次のようなものがあります。
配慮の例 | 具体的な依頼の仕方 |
|---|---|
口頭指示はチャットでも送ってもらう | 「口頭で受けた指示はSlackにも一行下さい」 |
複数タスクを順番に依頼してもらう | 「同時に3つではなく、1つ終わってから次を下さい」 |
会議の議事は文書で共有してもらう | 「会議後に決定事項のサマリーを共有してください」 |
締切は具体的な日時で伝えてもらう | 「『なるはや』ではなく『何日何時まで』で下さい」 |
配慮を求める具体的な手順は 職場での合理的配慮の求め方完全ガイドに詳しくまとめています。「自分のためのお願い」ではなく「お互いがミスなく仕事を進めるための仕組み」として伝えるのがコツです。
運営者自身、現在の職場では「指示は必ずテキストで」をお願いしていて、口頭で頼まれたあとに必ずSlackで要点を送ってもらっています。これだけでミスが体感で大幅に減りました。
ここまで読んで、「対策はわかったけれど、そもそも今の仕事が自分に合っていない気がする」と感じた方もいるかもしれません。正直に言うと、ワーキングメモリの弱さは職種選びである程度カバーできる部分があります。
エンジニア職に関してはADHD向けIT・エンジニア転職完全ガイドで、ADHD当事者がIT業界でどう活躍できるかを詳しく解説しています。
ただし、「向いていない」=「絶対無理」ではありません。事務職についても ADHDで事務職は向いてない?5つの場面と3つの戦略を当事者が解説や発達障害でも事務職で活躍できる|ADHD・ASDの特性を活かす仕事術と職場選びのコツで、配慮と工夫次第で活躍できるパターンを紹介しています。
職場の制度や上司の理解度によって、同じ職種でも難易度はかなり変わります。
ワーキングメモリの容量は、努力で大きく広がるものではありません。これは国立精神・神経医療研究センターなどの公的機関の資料でも繰り返し示されている通り、ADHDの中核的な特性のひとつです。
だからこそ、戦うべき場所は「覚える努力」ではなく「覚えなくていい仕組み」のほう。記事中で紹介した15戦略のうち、まずは1〜2個だけ試してみてください。運営者自身、最初にやったのは「リマインダーを未来の自分への手紙として使う」だけでした。それでも、3週間後には「忘れて怒られる」回数が体感で半分以下になりました。
そして、個人の工夫の限界を感じたら、職場に合理的配慮を相談する、あるいは特性に合った職場を探す、という選択肢もあります。フルリモート環境がADHDの特性とどう相性が良いかは、発達障害者にとってフルリモートは天国だった件でも整理しています。
大事な注記: 本記事は当事者目線と公的情報を組み合わせた一般的なガイドです。診断・治療・合理的配慮の判断は、必ず主治医・産業医・就労支援機関の専門家と相談してください。
「今の職場ではワーキングメモリの弱さをカバーしきれない」「もっと自分の特性に合った働き方を探したい」
そう感じているなら、発達障害の特性を理解した転職エージェントに一度相談してみてください。無料で利用でき、特性とマッチする職場を一緒に探してくれます。
サービス | 特徴 | こんな人におすすめ |
|---|---|---|
障害者雇用の求人を幅広く扱う、発達障害の理解があるアドバイザーが在籍 | 選択肢を広げて検討したい方 | |
障害者の転職支援に長く取り組み、サポートが手厚い | 配慮交渉まで含めて相談したい方 |
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この記事は個人の体験に基づくものであり、医療的なアドバイスではありません。 発達障害の診断や治療については、必ず専門医にご相談ください。 また、記載されている情報は執筆時点のものであり、最新の情報と異なる場合があります。
社会人になってからADHDの診断を受けた当事者。地方在住でフルリモート勤務、年収800万円のフロントエンドエンジニア。転職5回の経験から、発達障害のある方のキャリア形成に役立つ情報を発信。
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